おばあちゃんを思い出した言葉
福岡に、お仏壇のコガ(http://www.obutudan.net/)という、
お仏壇・お仏具を扱っている会社がある。
僕にとって、お仏壇ってしばらく縁がないもの。
生前のおばあちゃんが、亡くなったおじいちゃんのお仏壇を
部屋に飾っていたのを覚えているぐらい。
小学生の頃、毎日夕飯の時になると、
おばあちゃんは炊けたばかりのご飯を小さい器に入れて、
おじいちゃんのお仏壇にお供えしていた。
正直、なんで毎日こんなに律儀にやるんだろうなと思っていた。
温かいご飯とか炊きたてとか、死んだおじいちゃんにわからんやん。みたいな笑
でも時を経て、このコピーが気づかせてくれた。
生きている人のために、お仏壇はあるのだと思う。
生きている人のために。
そうか、なるほど。そうだったのか。
娘2人(母と叔母)が小学生の時に、夫(おじいちゃん)を癌で亡くし、
女手一つで子供二人を育てたおばあちゃん。
奨学金でとはいえ、二人を大学まで出したおばあちゃん。
僕が見たおばあちゃんは、既に子育てを終えてゆっくり暮らす姿だったけど、
二人の子供を育てている時は、本当に辛いこともあっただろう。
その拠り所が、おじいちゃんのお仏壇だったのかなと。
そして、そんな想いの形跡を、孫の僕も引き継いでいるのだろう。
厳しい環境で育った母の、僕への教育もまた厳しかった。
それに息苦しさを感じていた僕は、正直あまりいい教育だったとは思っていない。
でも違う角度から見ると、「それも致し方なかったのかもしれない」と感じるようになった。
これは、そんなことを思わせてくれたコピー。
身近な家族を、違う目線で見させてくれた言葉。